ファーストカットを斜めにするだけ!レモンをかわいく切る方法
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今やすっかり身近な食材となった「卵」。『古事記』『日本書紀』などの文献にニワトリの記述があることを考えると、日本人は遥か昔から卵を食べていたようにも思えますが、実は食用として一般的になったのは江戸中期から。
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平安時代に中国から伝来した儒教・仏教の影響で肉食を禁忌とする風習が根強く残っていた日本では、ニワトリが産んだ卵も長い間畏怖の対象であり、食用にされることはありませんでした。
ところが室町時代から始まったポルトガルやスペインとの間で南蛮貿易によって、カステラやボーロなど鶏卵で作るお菓子が輸入されるようになると、そのおいしさに目覚める日本人が続出。南蛮貿易が禁じられた後も、さまざまな卵料理が作られるようになりました。
江戸の文献をひもとくと、卵料理のバリエーションが広がっていく過程がよくわかります。江戸初期に書かれた日本初の一般向け料理書『料理物語』には、卵酒についての記載があり、器に卵を割り、冷酒を少しずつ入れてかき混ぜ、塩を少々加えて燗をするという方法が説明されています。
また、江戸中期に出版された『万宝料理秘密箱』の「卵」の項目には、なんと103種類もの卵料理が掲載されています。この記載部分は「玉子百珍」と呼ばれ、卵焼きのバリエーションや錦糸卵、卵豆腐といった現代も残る料理から、卵蕎麦、冷し卵羊羹など創意工夫を凝らしたユニークなものまでさまざまな卵料理が紹介されています。
江戸後期に三都(江戸・京都・大阪)の風俗・事物を紹介した百科事典『守貞謾稿(もりさだまんこう)』にも、江戸で人気の寿司ネタとして「玉子巻き」が紹介されています。屋台の寿司が1個8文(約160円程度)だった中で、玉子巻きだけが倍の16文だったということから、当時の卵が高級食材だったことがうかがえます。ちなみにこの頃、卵の黄身で溶いた衣で揚げた天ぷらならぬ「金ぷら」が贅沢グルメとして持て囃されていたそう。親子丼や茶碗蒸しなど、多様な卵料理が生まれたのもこの頃です。
南蛮菓子をルーツとしながらも、和食の世界にすんなり溶け込んだ卵。江戸に花開いた豊かな卵料理の文化は、現代の私たちの食卓にも確かに繋がっています。
参考文献 『江戸の食大図鑑』洋泉社MOOK
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